晴耕雨読を最初に言い出したのは誰なのかしら?
晴れた日だけ畑仕事をする「晴耕雨読」は、悠々自適な生活のイメージで「セミリタイア」を言い表しているような言葉です。
ところが、「晴耕雨読」は故事成語等の文献の記述はなく、誰がどういう意図で言い出したのかわからない言葉のようです。
元々の意味は違うのかも
雨の多い日本では「晴耕雨読=休みが多い」イメージになり、悠々自適感が出ます。
では、雨の少ない地域ならどうでしょう?
「晴耕雨読=雨が降らない限り休めない」になったりしないでしょうか?
あるいは、晴れの日は畑仕事を手伝わされ、雨の日は本を読んで勉強をしなければいけない子どもを憂いているのかもしれません。
てか、畑って耕すだけじゃなく、作物を植えてからはほっとけばいいってもんじゃないですよね。
雨だからといって収穫のタイミングは待ってくれません。収穫が遅れたら食べられなくなる場合もあります。
元々違う文脈で出た言葉が、その語感だけで独り歩きした可能性も否定できません。
今なら雨の日は家で働き、晴れの日は外で遊ぶ方がいいかも
現在の日本での「晴耕雨読」は、悠々自適で「体を使って汗を流せる喜びと、頭を使える楽しみがある生活」という定義でいいと思います。
ただ、誰もが畑を持つわけではなく、家で仕事ができる現在ならば、雨の日は家の中で働き、晴れの日は遊びに出かけた方がいいかもしれません。
現在の日本では、猛暑の晴れの日は家から出るのが危険です。大雨になると育ててきた作物が心配になって見に行きたくなるものですが、これがさらに危険な行為なのはよく知られています。
私は晴れでも雨でも引きこもっているんですけどね(;´∀`)