小屋暮らしの危険は孤独?
「Bライフ」という言葉の提唱者・高村友也さんが小屋から離れて暮らしているとは聞いていましたが、その理由について語っています。
「体が悲鳴」というタイトルからは、体力的に限界が来たのかと思いましたが、精神的に限界が来たようです。
私はBライフに憧れる気持ちがありますが、能力的にも体力的にも無理なので全くその道に足を踏み込もうと思いませんでした。
話を読むと、精神的にも私には無理そうだというのがわかりました。
ネガティブ思考に入ると危ない
しかしその一方で、何年もひとりきりで生活していると、気分がいいときはいいのですが、ネガティブな思考や感情にとらえられると歯止めが利かなくなる。3冊目の本は長年考え続けてきた「死の観念」や自身の内面を掘り下げた内容で、自作した小屋のなかの暮らしは自分の脳内で暮らすようなものなので、ネガティブな思考にとらえられると抜け出せなくなる。逃げ場がないのです。
この「ネガティブ思考」に陥ってしまうのは、Bライフに限った話ではありませんね。
一人で内向きに考えすぎるとなりうる危険はあります。ひきこもって他者とのやりとりが一切ないと陥りやすいと思います。
逆にBライフでも近所に人がいたりとか、近くに小屋仲間がいたりとか、時々旅行に出たりとかしていれば、こうはならないでしょう。
他人との距離感は人それぞれ心地よい距離感があると思いますが。
「圧倒的な孤独」は無理?
高村友也さんは「圧倒的な孤独」を求めたそうですが、求めた人ですらこの結果というのは決して他人事ではありません。
私の今の人間関係は、たまに帰省したときの親との関係と、大学時代からの友人を含むネット(SNS)での交流です。(直接は会ってない)
今はそれで精神的に安定していますが、いつか親が亡くなった時どうなるのだろう…という不安が頭をよぎることがあります。
まぁなるようにしかなりませんが。