「脱社畜」という言葉は「うさんくさいもの」に
「社畜」という言葉はそもそもいつ頃から使われだしたのだろう、とWikipediaを見てみると、1990年の流行語の一つだそうです。平成に定着した言葉の一つですかね。
社畜(しゃちく)とは、主に日本で、社員として勤めている会社に飼い慣らされてしまい自分の意思と良心を放棄し奴隷(家畜)と化した賃金労働者の状態を揶揄したものである。
会社に隷属する従業員を指す言葉ですが、「サラリーマン=社畜」という意味で使う人もいます。
「サラリーマン=社畜」の場合は、「脱社畜=脱サラ」ですが、「脱サラ」だとお店などを開く自営業のイメージなので「脱社畜」は惹き付けやすい言葉として使われてしまったのかもしれません。
脱サラ(独立・開業)も昔からセミナーで人を集めている
そもそも、脱サラ(独立・開業)は「一国一城の主」「サラリーマンよりもカッコいい生き方」のように言われ、かつてブームになりました。
セミナーをするとリスクを取らずに儲けることができますし、フランチャイザーとしてリスクを取らせてこき使うやり方も増えました。
「フリーランス」という言葉(働き方)も同様です。
私自身、フリーランスのエンジニアとして働いてきましたが、サラリーマンとして仕事をしている人にオススメしたり煽ったりはしたくはないですね。
フリーランスは1つの働き方として全然アリなんだけど、労基法で守られないから有給とかないし、病気で仕事できなければ収入減るし、クレジットカード作れなかったりローン審査通りにくいから家も買えなかったりもする。本当にフリーランスになりたいのかは十分に考えて。煽る人に騙されないように。
— 米村歩@日本一残業の少ないIT企業社長 (@yonemura2006) January 10, 2019
脱社畜(独立・開業)がいい、フリーランスがいい、といった言葉は何かを買わせるためかポジショントークくらいに受け止めた方がいいでしょう。
フリーランスを「セミリタイア」に置き換えても同じことが言えますかね。なので私は他人にオススメしません。やりたい人は勝手にやるでしょうから。
「脱社畜=脱サラ・フリーランス」ではない
脱サラ・フリーランス(独立・開業)は脱社畜して働く方法の一つですが、イコールではないですね。
昨日、臨界事故後のJOCの技術者にインタビューをした時、「技術者が自分の考えや意見をキチンと持っていない」問題を書きました。
これもまた「自分の意思と良心を放棄」した社畜の一類型と言えます。
逆に言えば、自分の意思と良心を持って働くなら、サラリーマンでも社畜ではありませんし、臨界事故も福島第一原発事故も起こらなかったかもしれません。
今の会社でそれができないなら転職するのも脱社畜の一つの手段ですし、一人じゃできないなら労働組合を作って闘うのもありでしょう。
「脱社畜とは何か?」を自分で考え、自分の意見を持つのが「脱社畜」への第一歩です。