「他人の得が許せない」人が増加中?
「他人の得が許せない」人が本当に増加しているのか、SNSなどでそういう人の意見を目にする機会が増えたり、マスコミがそれをとりあげるようになったのかはわかりません。
ただ、授業に出ずにいい成績を取った人に対して「ずるい」と感じるような、あるいは他人の得に対して「ずるい」と感じる範囲が広がっているのかな、という感覚があります。
何がずるくて何がずるくないのか、元々人によって捉え方は違うと思いますが、その感覚がどんどん乖離していると感じているわけです。
「知恵は共有」する意識が影響している?
また、「うらやましい」と言わず(言えず)に、「ずるい」と言ってしまう子どもが意外といるという話もありました。子どもだけじゃなく大人もかな?
実際にずるいことをしている人もいるので、得をしている人はなんらかのずるをしていると思ってしまうのでしょうか。
一方、自分だけ情報を得てなんらかの得をする(抜け駆け的な)行為に対して「ずるい」と感じるのは、今の時代ならではかな、と思います。
ネット・SNSによって「良い知恵は共有しよう」という意識があり、自分だけが得をするのはズルい感じてしまうのかな、と。
知恵を共有してもそれを使いこなせるかはわからないし、情報を集めるのだって手間もお金もかかっているから、情報をお互い様の関係の相手ならば共有すべき、はわからないでもないんですけどね。
さらに良い知恵と思わせて騙す悪質な手口も生んでいるので、「お得な情報」と言うのも気をつけないといけません。
頑張っても公正に報われない社会
では、得をした人が「これは全て努力の結果」と言うと、軋轢を生むだけですね。もちろん努力があってのことですが、それだけではないからです。
今年4月の東京大学入学式で、上野千鶴子名誉教授が祝辞で述べた言葉が思い出されます。
「がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています」
「がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったことを忘れないようにしてください」
本人はそんなつもりじゃなくても、別の当事者からみたら「ずるい」と感じられる不公正は、この社会ではまだまだ存在しています。
「上級国民」という言葉がネットで広がる程度には、「ずるい」が存在していると皆思っているわけです。
東京医科大学における女性差別のように不公正がどんどん表に出ているわけですから、ゼロにできないまでも改善へ向いた社会にしないと、「ずるい」と思う人が増えていくかもしれません。