「置かれた場所で咲くのはしんどい」
「『置かれた場所で咲きなさい』といわれても正直しんどい。そんなことができるのは好戦的な人だけだ」と語るヒロシさん。
我慢を重ねてふんばり続けることができない人は、心や体がボロボロになってまでも固執すべきではないというのが考えです。
ネガティブで知られる芸人・ヒロシですが、今やYoutuberとして成功してマイペースで生きていけるからこそ言える言葉のようにも思えます。
ただ、パニック障害と診断されるほど追い詰められたからこそ、「逃げる」ことの大切さを訴えているのでしょう。
「置かれた場所で咲きなさい」は誰のため?
「置かれた場所で咲きなさい」はポジティブに受け止める人が多い言葉だと思います。
「花を咲かせられれば、どんな場所でもいいじゃないか」と捉えれば、「場所」に固執する気持ちを抑えることができますから。
ただ、その「場所」があまりにも自分で合っておらず、我慢を重ねてボロボロになるようなら、場所を変えたほうがいいですね。
そして、人の配置をする側の人間が「置かれた場所で咲きなさい」と言うのなら、それはただの都合のいい言葉に聞こえます。
それは苦労を売りつける側の人間が「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言うのと同じです。
「置かれた場所で咲きなさい」を作った人がどのような意図で作ったかはわかりませんが、人の配置をする側の人間にとって都合よく利用できる言葉になってしまっているかも。
咲きやすい場へ逃げればいい
「置かれた場所で咲きなさい」は正直しんどいから、「自分が咲きやすい場所へ逃げよう」というヒロシの言葉に私は共感します。
もちろん、自ら「置かれた場所で咲くんだ」と頑張る人を否定するつもりはありません。
でも、「置かれた場所で咲きなさい」という言葉に縛られてボロボロになったり、その言葉で都合の良い存在になっていると思ったら、逃げるのはありかと。
自分が咲きやすい場所がすぐに見つかるかはわかりませんけど、ボロボロになるよりはずっと良いでしょう。
「雑草魂」が良いものとされているのだから、そもそも花咲かせなくてもいいんじゃないかって気もしますし。