ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー
ちなみに、このようにネットで社会正義のために闘う人たちを海外では「ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー」と呼ぶのだそうです。ただ、この呼び方は揶揄的に使われる場合がほとんどで、「安っぽい正義感を振りかざして独善的な考えで他人を攻撃する人たち」のような意味合いが込められています。
私もこのブログや姉妹ブログで、犯罪行為や政治的な問題行為については叩いているので、 「正義感を振りかざして攻撃する人」に入っているのだと思います。
それを「正義マン」と呼ばれるのはあまりにもカッコ悪いので辞めて欲しい。でも「ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー」ならカッコいいかなと思ってしまいました(;´∀`)
不謹慎厨にはなりたくない
流石に「マナー違反」だとか「不謹慎」などと、些細なこと・当事者意外にはどうでもいいことには何も言わないつもりです。
でもネットでは確かにそういう声を目にしてしまいますね。いわゆる「不謹慎厨」と言われるやつです。
そのせいで、「不謹慎かもですけど…」という前置きが必要になったというのは笑えない話です。
その一方で、明らかに暴行や脅迫などの犯罪行為であっても、「いじめ」「悪ふざけ」「しつけ」といった柔らかい言葉に置き換えられると、はっきり否定できずにそのまま伝えるマスコミの存在もあったりして。
言葉の使い方の難しさですかねぇ…
「正義マン」の老後はどうなる?
世の中や身の回りの些細なことにまでイライラして、ストレスを溜めることがそもそも身体に悪そうです。
さらに攻撃的になって人を寄せ付けなくなると、孤立してしまいかねませんね。ネットでのみ、しかも裏アカウントで発散してるならまだいいかもしれませんが。
歳を取ると丸くなるとか、寛容になるというイメージはありますが、それは当てはまらないと思った方がいいです。
むしろ、感情のコントロールが難しくなると思っておいた方がよく、今のうちから怒りとの付き合い方を知っておいた方がいいわけですね。
政治家や行政など、権力に対しては常に監視して時にはダメ出しをも必要なので、それを見つけた時は「No!」を表明して、適度に発散できればいいと思うんですけどね。
それを「怒ってもしょうがない」「怒らない方がいい」みたいになると、社会が歪んでいくだけですから。
でも「最近の若いもんは~」みたいなことだけは絶対に言わないようにしたい…