新型コロナウイルスの終息は見えず
新型コロナウイルスのパンデミックは今や欧州にその中心を移し、終息が見えなくなってしまいました。
もしかすると「世界的な恐慌」になるかもしれないし、それがきっかけで戦争が起きたとしてもおかしくありません。
流石に戦争をしても得るものより失うものの方が大きくなったので、世界的な戦争はもうないと思いますが、紛争レベルなら否定できませんね。
不謹慎な話ですが…
そんな世界的に大変な状況の中、不謹慎ながら「歴史の目撃者」になっている、という変なワクワク感があります。
良いことにしろ悪いことにしろ、生で見るにしろ映像(生中継)で見るにしろ、とにかく歴史が変わる瞬間を見たい、立ち会いたいんですよね。
それは政治的な歴史だけでなく、例えばパソコンやインターネット、ゲームについて黎明期からの変化を見ていることは幸せに思っています。
そして、見てきたことを昔話として「あの頃はなー…」と語りたいんです。(今でもたまに語っています)
戦争とか、大恐慌とか、相場の大暴落とか、自分にも被害が及ぶし、つらい思いはしない方がいいに決まってるのに、一方でちょっとワクワクしてしまう自分がいます。
「山あり谷あり、起伏のある人生こそ楽しい」と思っているし、そういう人生を歩んでいるからかもしれません。
決して他人の不幸を望んでいるわけではありません。念の為。
三島由紀夫vs東大全共闘
今日(3月20日)から映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』が上映されますが、もしも私があの時代に関東の大学に通っていたら、間違いなくその場に行きたいと思うことでしょう。
思想・信条とは別に、その場の熱量を感じたくなってしまいます。
東大全共闘に参加していた人たちも、全く同じ思想・信条で固まっていたわけじゃなく、熱に浮かされていたと思いますし。
実際、全共闘世代(団塊の世代)は、その後に髪の毛を切ってしれっと就職した人もたくさんいたわけで。
野次馬根性と言われればそれまでですが、その場であの雰囲気を感じたら、その後の人生になんらかの影響があると思います。
一種の自分探しかな?