新型コロナの外出自粛で家の片付け
コロナ禍でモノを手放したり、家の中を片づけた、という方が多くいらっしゃいます。「モノを持たない暮らし」と検索すると“ミニマリスト”というワードが挙がってきます。ミニマリストとは「最小限のモノで心豊かに暮らす人」のことをいいます。
新型コロナの外出自粛で暇になった時間で、家の片付けをした人はたくさんいたようですね。東京都も推奨してたくらいですし。
新型コロナで今後の生活・趣味を変えてく、変えざるを得なくなった人もいたでしょうね。
在宅でテレワークをするなら、仕事のための環境を作るために場所を取っていたものを捨てざるを得ませんし。
家にいる時間が長くなった分、自宅をより快適な場所にしようというのは当然の流れだと思います。
極端な「ミニマリスト」を辞めた人も
ただ、モノを手放した人がいたから、その中からミニマリストを目指す人が増えたかというとそれはまた違うような。
逆に究極的にモノを持たない暮らしをする「極端なミニマリスト」は、新型コロナで起きた買いだめ騒動で辞める人も出ました。
ミニマリストの「必要最低限」の定義が新型コロナよって「必要最低限の備蓄はする」に変わったとも言えますね。
それではミニマリストとは呼べないと思う人は自称するのを辞めてますし、そもそも完全な定義がないものなのでミニマリストと言ってもいいと思います。
ただ、原則として備蓄をしない「極端なミニマリスト」が減っているのは間違いないことでしょう。
思い出のあるモノがたくさん
自分が病床で死を目前にした時、モノの思い出はどうでもよくなるのか?
という考えには、私は決してそう思いません。もちろんちょっとした思い出のあるモノから、深い思い出が詰まったモノまであります。
今はデジタル化できますが、写真がまさにそれでした。自分で撮ったり、作ったり、カスタマイズしたりしたものは思い出が深まります。
こんまり先生が手放す順番として「思い出の品」を最後にしているように、捨てられないものです。
と言っても、少しでも思い出があると手放せないようでは困りますから、どこかで線引きは必要ですけどね。
思い出が詰まったモノをたくさん持っている人は、ミニマリストに向かないということかもしれません。