「コロナは自己責任だと思っていた」国会議員
「これまで、新型コロナウイルスにかかるのは感染者の『自己責任』だと思っていました。けれど、自分が感染してみて初めて、その認識は誤りだったと気付きました」
新型コロナに感染した人をバッシングしたり差別したりする人は、感染が「自己責任」であって、自分は無関係だと思っているのでしょうね。
でも、現実としては注意をしていても運悪く感染することもあるのが新型コロナの怖いところ。
万が一にでも自分が感染したら、それまで言っていたことが全部跳ね返ってくるので、極端な行動はできないと思うんですけどね。
記事にあるように、正しい知識が不足しているのが一番の問題ですね。
政治家が想像力欠如では困る
一般の人が「自己責任」でバッシングに動くのも怖いですが、それ以上に国会議員という立場の人間が「自己責任」論では怖いですね。
高鳥修一衆議院議員は、実際に新型コロナに感染した経験でその認識を改めたとのことですが、逆に言うと感染しなければ「自己責任」と思っていたままだったのかと。
政治家の中で高鳥修一衆議院議員だけが特殊な考えの持ち主ではなく、おそらく多くの国会議員・政治家が新型コロナに感染は全て「自己責任」と考えていてもおかしくないはず。
不用意な行動で感染したのならまだしも、そうでなく感染する人もいることは想像力を働かせてもらわないと。
新型コロナに限った問題ではない
政治家が想像力の欠如で困るのは、新型コロナに限った話ではありません。新型コロナを人種差別や貧困に置き換えても同じこと。
小学校から私立に通っていると、貧困にいる立場の人と触れることがなく大人になります。
いや、大人になっても触れる機会は多くないでしょう。それまでに知り合った人を情報源として社会を見るのでは、それは偏った情報でしか見てないことになります。
世襲政治家が多いことの弊害がまさにこれですね。
もちろん世襲政治家であっても、色んな方向から情報を集めて、想像力があればいいんですけど、現実はそうではないんだろうなぁ…