100万人のひきこもりを里山エリアに住まわせる?
全人口の5分の1くらいは都市ではなく、里山エリアに住んだ方がいい。そこで年金生活をしてもいいし、作家活動をしてもいいし、音楽をやってもいいし、陶芸をしてもいい。とにかく里山に「人がいる」ということが大事なんです。
里山エリア(農村)は、自然が溢れているイメージもありますが、あくまで人間の手が入って保たれているに過ぎず、人がいなくなればあっという間に自然に飲み込まれてしまう。だから「人がいる」ことが大事という主張です。
これまで人が住んでいた集落にはすべからく人を置いて全部維持すべき、とまでは言ってないのだと思います。
維持すべき里山エリアに置く人材としてひきこもりを活用すると。
「山奥ニート」そのもの
この記事を読んだ時、「あ、『山奥ニート』を全国的にやろうってことか」と思いました。
「山奥ニート」とは、和歌山の限界集落に近い地域にある元小学校の分校(廃校)を改装した建物をシェアハウスとしてニートたちが住んでいる、NPO法人共生舎のことです。
彼らは地域の人たちに受け入れられ、地域のお祭りに参加したり手伝いをしたりして、地域の維持に役立っているので、「里山の歩哨」と言えなくもない。
でもひきこもりを住まわせればそれで解決すると考えるのも甘すぎますねぇ。
地域の人たちに受け入れられないとダメですし、里山の家とその周辺を維持する方法を誰かが教えないといけないし。
「ニートを農村で働かせよう」という発想はずっと前からあるが…
ひきこもりやニートを「現代の屯田兵」のように、農村で働かせようという発想は随分前からありました。
かつての屯田兵も、明治維新で無職になった士族を北海道の警備と開拓にあたらせる存在でしたし。
農業体験から定着する人もいるでしょうけど、強制するものではないですねぇ。
ひきこもりやニートに過大な期待をすると尻込みすると思うので、極端に言うと「そこにいるだけでいい」くらいにしないと。
「山奥ニート」くらいののんびり加減なら可能性はあると思いますけどね。