実力も運のうち
しかし、NHK『ハーバード白熱教室』などで知られる、哲学者のマイケル・サンデル教授から見ると、この能力至上主義の考えの裏には、「成功をしていない、社会的に認められない人は、努力してこなかった責任を負っている」ということになる。そしてこれは、真面目に働いていても、グローバル化やデジタル化の影響を受けている人が、「努力をしなかったから」と尊厳を奪われ、エリートから見下されていると感じる状態を作ってしまった。サンデル教授はこれがアメリカなどで見られるエリートと労働者の分断の本質だと説く。
人種、性別、社会的身分又は門地など、本人が生まれ持ってきたもので、本人にはどうしようもないことで差別することは誰しもが否定するでしょう。
一方、その後の本人の努力によって収入や地位に差が付いたとしても、それは当然のことだ、となります。
頑張っても頑張らなくても結果が同じなのならば、誰も頑張らなくなりますから、「結果平等なんてとんでもない」となるわけで。
しかし、マイケル・サンデル教授は努力によって差がつくこと自体を否定しているのではありません。
サンデル教授が問題視しているのは、能力主義を強調しすぎて成功できなかった人が尊厳を奪われ、エリートと労働者が分断していることです。
努力は必ず報わるとは限らない
白血病から復帰して東京五輪代表の座を勝ち取った池江璃花子選手は、インタビューで答えた「努力は報われる」という言葉に対して、ちょっとした議論がありました。
池江選手の努力が半端ないものだったことは間違いないですが、病気の再発でもあればそれが全てなくなる可能性だってあります。
勝者以外は努力をしてこなかったように受け止められるのが本意ではないのは、後のコメントで書いている通り。
世の中の成功できなかった人の中には、努力を全くしなかった人もれば、努力が空回りした人もいます。
さらには、病気や家庭の事情で努力できる環境にない人もいるわけで、思う存分努力ができる環境に生まれた人が有利な「公平ではないレース」とも言えます。
日本では正規と非正規の問題か
アメリカではエリートと労働者の分断の問題とするならば、日本では正規と非正規の格差問題ですかね。
特に「非正規だから」という理由で、エッセンシャルワークでも待遇が低く抑えられているのは問題です。
「非正規が嫌なら正規で働けばいいじゃないか」という論調になりがちですが、椅子取りゲームになってますからねぇ。
日本では収入が低く抑えられたまま改善が進まない職種・業種が多いので、努力の成果・成功や社会への貢献度を、お金や収入という一つの数的指標で測るべきではないとのサンデル教授の提案はもっともだと思います。