「"取り急ぎお礼まで"は失礼」
メールの最後に「取り急ぎお礼まで」と書いていたら失礼、とのツイートから、国語辞典編纂者の飯間浩明氏が見解を述べるなど話題になっています。
この種のマナーでは、「『了解』は失礼で『承知』が正しい」という謎マナーが以前話題になりましたが、まさにそれが繰り返されそうです。
「失礼クリエイター」が日本の生産性をまた下げようとしている、と感じてしまいますねぇ。
言葉に対する寛容さを欠いている
元のツイートでは、「取り急ぎお礼まで」が失礼であるとの指摘の後に「正解は~」と続いていたので、「正解が一つしかない狭い考えの持ち主なのだな」と感じました。
文化庁の文化審議会国語分科会が平成30年に出した報告書「分かり合うための言語コミュニケーション(報告)」の「言葉に対する寛容さを欠いている」という節では次のように書かれています。
そもそも,言葉は変化するものであり,地域や共同体によっても通用する言葉や言葉遣いが異なる場合もある。同じ意味を伝える表現が複数あるなど,正解は一つとは限らない。ところが,伝統的・標準的とされるものだけ,あるいは,自分自身が正しいと受け止めるものだけを基準とし,それ以外のものを誤りであるとみなす傾向がある。うまく表現する言葉が見付からず,十分に伝わらないことを恐れながらも,できる限り意を尽くそうと努力した経験は,誰にも覚えのあることであろう。しかし,そうした努力を察しようとせず,発せられた言葉の不十分さばかりに注目するような,寛容さに欠ける風潮も認められる。これもまた,伸び伸びとした伝え合いを妨げるものの一つであろう。
元のツイートはまさに文化審議会国語分科会が指摘している通りの、「寛容さに欠ける風潮」です。
「正解は一つとは限らない」でいいんです。もちろんどちらがより丁寧なのかはあっていい。
正解はいくつもあっていい
これとは別に「いくつも正解がある」テスト問題のツイートが話題になりました。
娘の解答。正解はインターネットでした!! pic.twitter.com/dyPN1bkMqT
— ちくわぶ (@yakizakana_) 2021年4月23日
問題文にある「最近」で絞るならば、日本でも20年以上前から買物ができるようになっている「インターネット」は不正解と言えますね。(amazon.co.jpは2000年開始)
でも日本の教育現場では、テスト作成者・採点者が決めた正解以外は不正解にされがち。
それが「たった一つの正解しか認めない社会」の根底になって、その正解以外の人にとって生きにくい社会になってはないか、と常々感じています。
自分は会社を辞めてフリーランスになったり、また別の会社に入り直したり、セミリタイアしたりと世間とは違う生き方をしているだけになおさら。
とりあえず、言葉遣いへの細かい指摘で生産性を下げるようなことは無くしていきたいものですね。