正しく生きたいと考える人はカルトに注意
カルトを信じてしまう人には、どんな特徴があるのか。かつて新宗教団体で熱心に活動をした経験があり、現在はカルトの脱会支援にも取り組んでいる玄照寺(真宗大谷派)の住職・瓜生崇さんは「入信者とそうでない人の間に明確な違いを見つけることは難しい。正しく生きたいと考える真面目な人なら、誰でも危険性がある」という――。
人は誰でも人生に迷う瞬間があり、そういう「迷える羊」に行くべき道を指し示すのが宗教の役割の一つ。
苦しい時に、悩みがある時、人生の岐路で迷った時に頼れる存在になる人や教え(宗教に限らず)に出会えるとよいです。
しかし運悪くカルトな宗教・団体に出会ってしまうと誰でも信じてしまう可能性はあります。
カルトな宗教・団体はそういう人の弱みにつけ込む術をを熟知していますしね。
今は「正しく生きている」とは思ってない
「正しく生きたいと考える真面目な人」に危険性があるのだとすると、ほとんどの人があてはまってしまいます。
私の場合で言えば、今のセミリタイア生活は「正しく生きている」とは思っていません。
世間的には「社会の一員として働く」が正しい生き方だと思いますし、親には話せないような生き方してますから。
かといって「間違った生き方」とも思ってないです、念の為。敢えて言うなら「正しく生きている」のか、悩みながら生きている状態かな。
FIREブームで生まれたコミュニティを始めとしたライフスタイルのコミュニティでは、「素晴らしい生き方」だと説く伝道者のような人とそれを信奉する人で、ちょっとした宗教的になってる印象もあります。(個人の感想です)
自分ではそれが「正しい生き方」だと思っても、同じ考えの人がいないと不安になるのが人間ですからね。
迷わないように指針を示したり先導してくれる存在はありがたく感じるものです。
迷いながら生きていくのみ
そもそも、正しい生き方なんて人それぞれで、正解は一つじゃない。
だから他の誰かに答えを求めるよりも、自分で見つけていくしかないんじゃないかな。
死ぬまで迷いながら生きていくしかなくて、正しく生きれたかどうかの答え合わせはできずに死んでいくかもしれない。
答え合わせをしないうちは正しいとも間違っているとも言えないので、その状態でいいんじゃないかな。