疲れると「労働に向かない友人」に会いたくなる
作家・燃え殻が「週刊新潮」で連載するエッセイ「それでも日々はつづくから」が100回を迎えた。ついつい世間の目を気にして「働いてしまう」燃え殻が、風呂なしアパートに25年住み続ける「働かない友人」にふと会いたくなってしまう理由とは。
高円寺の風呂なしアパートに25年も住み続けながら、その25年間で働いたのは1ヶ月もないという「労働に向かない友人」。
少し前に「若者の間で“風呂なし物件”が人気」というニュースが話題になりましたが、そのニュースの論調はさておき、昔から風呂なし物件に住み続ける人はいるんですね。
「若者の間で“働かない”が人気」というニュースもやってくれたらいいのに。
生活の糧は「それはどうなの?」案件
ただ、その友人の生活は「それはどうなの?」案件で成り立っているとのことなので、他人にオススメできるものではないようです。
実家が太い可能性もありますし、複数の女性と付き合っているというところから、ヒモのような生活なのかと推測しますけれど…
1990年代に話題になった、「普通に働かない、消費しない」生き方を模索する活動「だめ連」を思い出します。
だめ連の人たちが集まる場所の一つに高円寺があったので、当時を知っている方・交流していた方かもしれませんね。
時代は「だめ連」に追いついたのか?
「だめ連」については2015年にも触れているのですが、だめ連が話題になった当時、私もなんとなく羨ましく感じ、影響を受けた人間です。その結果が今のセミリタイア生活と言えるわけで。
山奥ニートの人たちや、中国の寝そべり族など、時代が「だめ連」に追いついているような気はします。
今の社会に疲れて、競争から降りたいと感じてしまう人が増えているような印象。SNSで可視化されただけかもしれませんけど。
「労働に向かない人」は昔から一定数いて、何かがきっかけで小さなムーブメントが起きるのでしょう。
もしかすると風呂なし物件に住む若者の中から、新しいムーブメントを起こす人が出てくるかもしれませんね。