貧乏と引き換えに働かない生活を手に入れた
私のセミリタイア生活は「貧乏と引き換えに働かない生活」という認識を持っています。全く働かないのではなく、少しは働いていますけど。
そういう生活は、ゆとりがあるべきセミリタイア本来の定義から外れる、という考えをお持ちの方もいるでしょう。
FIREも最初から考えるとバリエーション・幅が広がって、名乗ったもん勝ちみたいになってますし、厳密な定義を気にしてもしょうがないと思ってますが。
逆に節約ガチ勢の人からは、支出が多くて甘いと思われてるかもしれません。
最低限の生活と引き換えに自由と時間を手に入れた
私と同じような感覚の人はいるのだろうか、とぐぐってみたところ、以下のエッセイがヒットしました。
「都会の最低限の生活と引き換えに、自由と時間を手に入れた」とは、私と近いことを言ってるようで、ずっとおしゃれな言い回しです。
私もこれを使おうと思いました。都会じゃないので「最低限の生活と引き換えに、自由と時間を手に入れた」かな。
記事の方は29歳でアルバイトかけもちで月収10万円。都会では最低限の生活も危ういかと思いましたが、住み込みの寮に住んでいるのでやっていけてるようです。
仕事に対するストレスがないことが、自分らしく生きていけてる大きな理由になっているようで、激しく同意でした。
若い世代に増えていくのだろうか?
「さとり世代」「低欲望社会」といった言葉がありましたし、FIREが紹介された時もこれに近い考え方だと感じました。
若い人が全員この方向に向かっているとは思いませんが、高収入を求めるより、自分の時間・自由を大切にする考えの人が増えている、あるいはそれを表明しやすくなっているのかも。
この生き方が流行って受け入れられると、もっと表明しやすくなりそうだし、ミニマリスト的なライフスタイルの一つとして定着する可能性はあると以前から感じています。
日本人は横文字に対して弱いというか、良く聞こえてしまう認知バイアス(横文字バイアス?)があると思いますし、やはり「FIRE」や「ダウンシフト」みたいな言葉で流行るといいですかね…