お金をかけずに豊かな老後を過ごす方法
世の中に提供されている娯楽(エンターテインメント)には、お金がかかるものですし、人気のコンテンツほど高くなります。
お金を持っていればいるほど、楽しめるエンターテインメントの質・量を増やせるので、お金がかかる趣味を持っている人はお金と幸せの相関が強くなるのでしょう。
逆に言うと、金がないと楽しめるものが限られて苦しい。
教養レベルを上げればお金はかからない?
しかし教養レベルを上げれば、お金がかかるエンターテインメントを消費しなくても楽しめる、というのが森永卓郎氏の主張。
これには8割くらい賛成、2割懐疑的かな。「教養」の定義にもよります。
「教養」の定義を、「自分一人で時間を潰すことができる能力を『教養』と呼ぶのである」(中島らも)とするなら、まさにそうだと思います。
しかしながら、「教養レベルが高い=高尚な趣味を嗜む」に走ると、お金がかってしまわないかと。
例えば、クラシック音楽こそ教養レベルが高いと考えたら、本物を音で聞きたいからとコンサートに行ったり、自分で演奏するにしても高い楽器を買い求めたり。
「教養」という言葉の受け止め方次第で変わるため、全面的に賛成とはなりません。
「自給」すればお金をかけずに豊かな老後
一方、エンターテインメントを「自給」すればいい、という考え方は全面的に賛成です。
「自給」と言うと、自分で作品を作るようなイメージでハードルが高くなりますが、自分なりの楽しみ方を見つけることだと考えています。
掃除や洗濯といった家事だって楽しみにしてしまう人がいますし、節約なんかは趣味として楽しんでいる人がたくさんいます。
もちろん自分で創作活動をしてもいいし、自分なりの楽しみ方を広く公開するのもネットで簡単にできる時代です。
「シニアも推し活」みたいに、消費を煽るのは消費させたい側(広告代理店など)の策略があると思って真に受けすぎず、自分なりの楽しみ方を見つけるのがいいですね。