いつの間にか「お金の奴隷」に?
私たちが住んでいる世界は「お金の奴隷」、つまり「拝金主義」に陥っている部分が多いです。
目先のお金を得ることを目的もしくは優先することで「仕事とは世の中を本質的に良くすること」ではなく、「仕事とはお金を稼ぐこと」に陥っていることから問題が発生し閉塞感が生まれます。
お金(富)を得るため、お金を貯める・増やすために行動することのみならず、安定のために公務員を選ぶことや、成功や名声を得るために頑張るのも含めるのでは、ほとんどの人が「お金の奴隷」になっていると。
ちょっと範囲を広げすぎやろー、と思います。
お金とは最も他人と比較しやすい価値基準であり、他人との比較で勝つことばかり考えることを諌める気持ちはわかりますが、「拝金主義」とはまた違うかと。
他人との比較が稼いだ金額(年商・年収)や持ち物の価値(金額)になりがちなので、遠い存在でもないですけどね。
本当は「幸せ」で比較すべきなのでしょうけど、それは他人との比較は難しいのでどうしてもお金になりがちです。
「拝金主義的」になっている自覚はある
私は「お金の奴隷」であるとか、「お金に好かれる」「お金に働いてもらう」といった擬人化表現をあまり使いません。中にはオカルトっぽく感じるものもありますので。
逆に「お金はお前を好いたり嫌ったりしない! お前がお金を好きか嫌いかだけだ!」と言いたくなるくらいです。
ただし、セミリタイア生活ではお金のことを考える時間も多く、「拝金主義的」になっている自覚はあります。
安く買うためにあっちの店に行ったりこっちの店に行ったりするのは、お金のために働いているわけで、「お金の奴隷」という表現そのものです。
お金はあくまで道具として大事に使いこなす
お金はあくまで道具にすぎず、あまりありがたがったり、使わずに貯めるばかりでは意味がないとも考えます。
同じ道具(金額)でも、大事に使えば長く使えるし、乱暴に使えばあっという間に使えなくなってしまいます。
また、あくまで道具と考えるにしても、道具に使われるのではなく、道具を使いこなす人間でいたいものです。