何かにつけて「コスパ」を求める人たち
これはシンプルな疑問なんだけど、進学先とか資格とか就職先とか結婚とか子供とか、何につけても「コスパコスパ」言ってる人達って今際の際に「コスパいい人生だった。。。」って満足して死ねるんかね。。。?
— なかめのくまちゃん🧸 (@wgextra) 2021年6月3日
ここで言われている「何につけてもコスパコスパ言ってる人」は、おそらく「パフォーマンス」よりも「コスト」の方を気にする人だと思います。
コスパ(コストパフォーマンス比)を上げるには、コストを下げるかパフォーマンスを上げるか、あるいはその両方なんですが、どうしてもコストを下げる方に目がいきがち。
この指摘は以前からありますし、コスパを気にする人間の一人として、私も行き過ぎないようにしないとなーと感じています。
「コスト=(苦痛な)労働」と考えると幸福のコスパは上がる
ただし、「コスト」はお金だけで考える必要はありません。
特に「人生のコスパ」を考える場合は、生きていくために稼ぐ(苦痛な)労働は大きなコストの一つ。(仕事が楽しい人もいるので全員には当てはまりませんが)
長時間労働で高収入を得て、生活費に余裕があったとしても、自分の自由な時間がなかったり、心や身体を病んでしまってはパフォーマンスが下がります。
「(苦痛な)労働」というコストを減らすことができれば、人生のコスパは上がる。(節約)セミリタイアやFIREはそこに重きを置いている生き方だと思います。
やりたいことができれば「コスパのいい人生だった」と満足できる
緩和ケアの現場で数多くの患者を看取ってきた方が書いた『死ぬ瞬間の5つの後悔』によると、次の5つを後悔する人が多いと言います。
- 他人の期待に沿うための人生ではなく、自分がやりたいことをやっておけばよかった
- 仕事ばかりしなければよかった
- 自分の本心を伝えておけばよかった
- 友だちと連絡を絶やさないでおけばよかった
- 自分を幸せにしてやればよかった
「仕事ばかりしなければよかった」はまさに労働のコストを減らして、ワークライフバランスを取っておけば良かったという後悔ですね。
そしてもっと自分が幸せになるために、やりたいことをやっておくべきと。
やりたいことがあるのに、コスパを気にして諦めてしまうと後悔が残るかもしれません。
ワークライフバランスのコスパを上げて、やりたいこと以外の生活費のコスパを上げて、それで自分がやりたいことを(時間的にも金銭的にも)できたなら、人生の最期に「コスパのいい人生だった」と満足できるのではないかと。
コスパを上げることはあくまで自分がやりたいことのための手段であって、コスパを上げることが目的化してはいけませんね。
コスパを上げることはそれなりに楽しいし達成感もあるのですけど…