これ以上衰退したときに「心の豊かさ」は保てる?
古市憲寿氏の言いたいことはどうでもいいとして(ええんかい)、この問いに対しては自分はどう向き合っていくべきか、と常々考えています。
「衣食住足りて礼節を知る」と言われるように、衰退して貧しくなっていくと、心の余裕を持てない人が増えていくと考えられるからです。
自分もその一人にならない自信はないし、気が付かないうちに余裕を無くしてしまうかもしれない。
そもそも「心の豊かさ」は有るのか?
かつての高度経済成長期が終わった頃から、「経済的・物質的な豊かさから精神的・心の豊かさを求めるべきだ」と言わた時期がありました。
それで結局、我々は心の豊かさを得ることができたのか?
今でも経済的・物質的な豊かさに重きを置いているのであれば、衰退したら心の豊かさどころではありません。
一方、失われた30年に生まれ育った若い世代は、衣食住と娯楽についてあまり多くを望まず、心の豊かさの比重が高いという見方もあります。
耐性が低い団塊世代やバブル期を知っている我々の世代くらいまでが最も危ないですかねぇ…
衰退していく中で経済的・物質的な豊かさを求めすぎると、心の豊かさを失ってしまうので、どちらも求めすぎないくらいがいいのかな。
何が心の豊かさに繋がるのかは人それぞれ違いますが、一番の大敵・孤独には気をつけたい。
為政者の言葉には気をつける
一方、記事で書かれているように、衰退して貧しくなっていくことを「心の豊かさ」という言葉で誤魔化されないようにはしたいですね。
「世界的に見れば日本はまだまだ豊かだ」などの言葉は、目線を下に向けて批判を逸らすために為政者・権力者が便利に使う言葉です。
世界的に見て「安全」がとても良好な日本ですが、人々が心の豊かさと心の余裕をなくして、犯罪が増えないようにはしてもらいたいものです。