「お金」に対してネガティブな思いをもつのは避けたい
「ためる楽しさ」や「ためる目的」をもつことが大切です。「お金」に対してネガティブに思うのではなく、ポジティブな思いをもったほうがためやすいでしょう。
お金に対してネガティブなイメージを持つのは、節約して貯蓄に励むと「けち」、さらには「守銭奴」「拝金主義」などと昔から言われて来たからでしょうかねぇ。
対して、「宵越しの銭は持たない」方がカッコいいイメージがあります。
投資(投機)に対しては「がめつい」イメージがあるのも、そのネガティブの延長上にあるのかもしれません。
さらに、お金のためなら何でもする(いわゆる「銭ゲバ」)となると最悪。まぁこれは違法か違法スレスレなので当たり前なんですけど。
労働法違反で賃金をちゃんと払わないブラック企業の経営者は「銭ゲバ」と呼びたいですね。
一文惜み、悋嗇、吝嗇、握り屋、伊勢屋
ちなみに、「守銭奴」の類語を調べると、けちんぼの他に、一文惜み、悋嗇、吝嗇、握り屋、伊勢屋といった言葉が出てきます。
「一文惜み」はそのまんま、一文を出すのすら惜しむほどのけちということでしょうか。「握り屋」も字から想像できるように、金銭を握って放さない人のこと。
「悋嗇」と「吝嗇」はどちらも読めませんでした。調べるとどちらも「りんしょく」だそうです。
「嗇」自体が「おしむ。ものおしみする。やぶさか。けち。」という意味があり、「悋」も「ものおしみする。」、「吝」も同様です。同じ意味の言葉を重ねて、強い表現にしているということですね。
しかし「伊勢屋」だけはなんで?と思いました。
「伊勢屋=けち」の由来
「伊勢屋」は伊勢商人がよく使っていた屋号で、伊勢商人に倹約家が多かったことから代名詞になってしまったと。
「売り手によし、買い手によし、世間によし」の『三方よし』の理念で評判を上げている近江商人の対極ですかねぇ。
ちょっとかわいそうな気もしなくもないです。
「強欲の罪」にはならない程度に
キリスト教の「七つの大罪」の一つに「強欲の罪」があるように、金銭欲をむき出しにすることは、日本に限らずネガティブだと捉えられてきました。
高利貸しに対する悪いイメージは、今も昔もどこの国でも変わらないかな?
イスラム諸国では高利貸しどころか、直接お金を貸すことを避けて「イスラム金融」が行われていますし。
元の記事にあるように、お金は「道具」にすぎません。
しかしそのお金は、人々を争わせたり、苦しめたり、傷つけたりしてきた歴史があり、付き合い方に迷う人はこの先もなくならないでしょう。