死をタブー視しすぎる日本人
日本では「死」をタブー視しすぎるのは、それが「穢れ(けがれ)」という意識があるからかもしれません。
葬儀に携わったら穢れを受けるとして、葬儀の参列者には今でも穢れを祓うための「お清めの塩」が渡されています。
「霊柩車を見たら親指を隠せ」という迷信も同様でしょうか。大昔からあった葬列を見たら、が霊柩車になっても続いているということのようですが。
原因の一つは感染症
ただ、今も昔も、感染症で亡くなった人の遺体の処理は慎重にしないといけないのはかわりません。
新型コロナウイルスで亡くなった人の遺体は、遺族と対面できずに火葬されていましたが、それも遺体から感染症が広がるのを避けるため。
「村八分」になっても火事と葬儀が別扱いしたのは、それを放置すると他の人に迷惑がかかるから。
昔からある様々な葬儀のしきたりは、感染症を恐れてやっていたことがたくさんあるようです。
「感染症=穢れ」と考えると、お清めをするのは正しい感染予防の行動になりますしね。
それが迷信となって今でも伝わって、「死」そのものがタブー扱いされているのが残念ですが。
「死」を語るのは縁起が悪い?
最も困ることは、「死」について語ること自体を「縁起が悪い」などとしてタブー化されることです。
理想的な死とされる「老衰死」は「自然死」とも言われますが、よく考えてみれば「自然」ってなんなんでしょうかね。
自然の中では食物連鎖の中で、別の種に食べられて死ぬ個体はたくさんいますし、怪我や病気から餌が取れなくなって餓死することも珍しくありません。
セアカゴケグモなどのゴケグモのオスは、交尾後にメスの捕食されてしまいますが、これもまた自然なんですよね…
そう考えれば、病死も事故死も全て「自然死」ではないかと。
逆に延命措置で生かされてしまう方が「不自然」なのですが、「死」をタブー化しすぎた結果なのかもしれません。
最近は少し揺り戻して「尊厳死」「安楽死」が語られるようになってきました。でもまだまだ「死を語るのは縁起が悪い」という人もいます。
しかしながら新型コロナの影響で、自分がいつ死ぬかわからないと思うようになった人も多いので、もっと「死」について語れるようになればいいと思います。