池袋暴走事故が逮捕されないのは「上級国民」だから?
「上級国民」という言葉は、東京五輪のエンブレム騒動の時に武藤敏郎事務総長が「一般国民」と発言したことからその対義語として生まれた言葉(ネットスラング)。
「上級国民やからな」「上級無罪」といった使われ方をしていましたが、まさかここまで広まってしまうとは。
昔ながらと言い方をすると「特権階級」というやつで、軽微な交通違反など小さな犯罪は簡単にもみ消せると昔から言われてました。
今回の事故はそういったもみ消しができるレベルではありません。
恣意的運用はされていないか?
今回の事故で、警察・検察がやっていることは「運用の裁量の範囲内」であるということに異論はありません。
ただ、その裁量の幅が大きく、恣意的に運用されているのではないか、と思われていることが問題です。
よくある身内に対して罰する時は可能な範囲で最も甘い判断を下すといったやり方です。
典型的な事例が、警察・検察の元身内である元特捜部長がはね殺した事故では、在宅起訴でした。(追記)
逆に最も厳しいやり方は、逮捕後48時間の勾留で釈放されるはずが、最大20日間の勾留延長を使っていわゆる「代用監獄」で罪を認めるまで釈放しない手法です。
その間、弁護士が取り調べに立ち会えないなどは世界の常識からかけ離れているわけで、それが日米地位協定でアメリカの軍人や家族が特権階級のままになっている原因でもあります。
粉飾決算でも大きな扱いの差が…
ネットで「上級国民」ネタで盛り上がったのが東芝の不正会計事件です。逮捕・長期勾留された堀江貴文氏との違いが大きすぎました。
どちらも「裁量の範囲内」だとしても、その幅が大きすぎるんですよねぇ。
マスコミも恣意的な扱いが当たり前
マスコミも、逮捕されたら必ず「容疑者」を付けて呼べばいいのに、有名アイドルグループの一員が逮捕された時に「メンバー」という肩書を付ける裏ワザを編み出しました。
こういった恣意的運用がされている土壌があったからこそ、生まれ広まったのが「上級国民」という言葉なわけです。
法治国家でも、裁量があまりにも大きすぎると人治国家と同じことになってしまいます。
起訴する権限も、検察審査会による強制起訴制度が2009年に出来るまでは検察だけが持つ権利だったわけですし。
先ずは異常な長期勾留を改めたり、取り調べの全面的な録音・録画を進めるべきですが、まったく進んでいません。
その結果、「上級国民」という言葉はこれからもネットで使われ続けるでしょう。