コロナ禍でも24時間テレビはやめられない
今年も『24時間テレビ 愛は地球を救う』はやるのですね。
毎年のように続ける意味を問われながらも、様々なしがらみによってやめられない事情があるのだろうと思います。
でも、今年はやめるタイミングとしてこの上ないチャンスだったはず。
流石にマラソンや大きな箱を使っての「お祭り」的なイベントはやめるようですが、それなら根本的に改革しても良かったのではないかと思います。
最大の「やめどき」を逸したことで、もうやめられなくなってしまいましたね。
生活の中でも「やめどき」は難しい
とは言え、「やめどき」がわからず、ズルズルと続けてしまうことは仕事の中でも、日常生活の中でもありがちなこと。
日常生活の中でズルズルと続けているものは、結婚、引っ越し(転勤)、転職、退職、リタイアなど、環境が変わる時にやめるチャンスが訪れます。
タバコのように依存性のあるものだと、やめるのはかなり大変ですね。
食生活でも健康や節約のためにやめた方がいいのはわかっていてもやめられない、なんてものがあったり。
サブスクリプションサービスは、そういう「やめどき」を見失ったまま放置してくれる人のおかげで成り立っているのかもしれませんが。
人生のやめどきは決められない
もちろん一番難しいのは人生のやめどき。こればかりは自分で決められませんから。
今の私は、惰性で余生を生き続けているような感じです。
今がやめどきだとは思いませんが、このままズルズルといって、いつか「やめどき」と思っても簡単にはやめられません。
日本で安楽死を導入するとその悪影響の方が大きい、と言われると、私もそう思いますしね。
『24時間テレビ 愛は地球を救う』は一定の役割を果たしたと思いますが、この機会に「生きる権利」について、次の議論へと進んでもらいたかったと思います。