哲学者が語る「孤独」の本当の価値
孤独とは、一人で寂しいと思う感覚だと指摘しました。それは一般的にそう思われているだろうということです。ただ、哲学者たちは必ずしもそういう定義はしていません。たとえば孤独についてもっとも鋭い議論を展開していると思われる日本の哲学者三木清は、次のように表現しています。「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのでなく、大勢の人間の『間』にあるのである」と。
「孤独は山になく、街にある。」こんな話を以前に聞いたことがあります。
それを言ったのは哲学者ではなく、ヒロシでした。
「ひとりでいることが寂しいんじゃなくて、大勢の中でひとりなのが寂しい」
そしてヒロシは山でソロキャンプすることで「ひとり(孤独)」でいることの良さを見出していったと。
「孤独」を味わうために自然に入る
三木清は、『人生論ノート』の中の「孤独について」で、「孤独を味ふために、西洋人なら街に出るであらう。ところが東洋人は自然の中に入つた。」と述べています。
昔から隠遁と言えば、人里から離れた場所に隠れ住むことですし、ヒロシがソロキャンプで自然に入るのも東洋人的な感覚故なのかも。
まぁ日本の場合は家にいても周りの声・音(環境音)がどうしても耳に入ってくるし、山は割と近いのもありますね。
孤独を感じたら何かに集中すればいい
元記事の「もし孤独だなと感じたら、何かに集中すればいい」はごもっともなアドバイスだと思います。
というか、何かに集中していれば、孤独は感じないもの。むしろ一人で集中・熱中して取り組めたり楽しめていい環境と言えますしね。
人生100年時代、そしてウィズコロナの時代は、一人で集中できる楽しみを持つことが重要なのでしょう。
ひきこもりセミリタイア生活でも同様だと思います。