「体育の授業」の苦い思い出
学生時代に避けては通れない苦手科目の授業。「数学は大人になったら役に立たない」「古文は必要ない」「世界史の授業が眠かった」など、勉学ばかりが苦い思い出として取り上げられがちだが、なかには「体育こそが意味不明だった」という人たちもいる。そして、運動が苦手な人にとっては、「体育」の授業が大人になっても“癒えない心の傷”として残り続け、思い出したくないものになっているのだという。
体育はパワハラ混じりだったり、生徒感での差が露骨に見えたりして、嫌な思い出しかない人もいるんでしょうねぇ。
私は球技はまぁまぁで今も見るのは大好きだけど、鉄棒などの器械体操や水泳は嫌いだったので嫌な思い出があります。
「○○は社会に出てから役に立たない」は「嫌い」なだけ
数学・古文などに対してよく言われる「○○は社会に出てから使うことがない・役に立たない・無駄」論は、結局「嫌い(だった)」を言い換えただけなんだと思います。
授業時間は有限なので、どう優先順位を付けて教えていくかという問題はありますが、それよりも「嫌い」と感じる人を増やしていることの方が問題です。
それが如実に表れているのが体育ですね。
スポーツ庁の調査によると、小学生よりも中学生の方が「嫌い・やや嫌い」が多いそうです。
嫌いな人が多くなるのは体育の授業が全てではないと思いますが、影響が大きいのは間違いないでしょう。
数学や古文だって先生の教え方次第で楽しくなりますし。
勝敗・順位をつける指導を避けられるか?
「勝敗・順位をつける指導は避けるべき」が理想だとしても、成績を付けなければいけない以上、教師は順位をつけざるを得ないのが現状かな。
順位を付けないのが良いかというと、それにもまた問題があるようで…
できる・できないとか速い・遅いの優劣は見えてしまいますしねぇ。
できない・遅いとしてもスポーツを楽しめるのがいいけれど、子どもにとってはやっぱり楽しくなくなるだろうしなぁ…
パワハラ的な指導とか、組体操のような危険なことだけは避けつつ、自分の希望の競技・種目を選んで出来るようになればいいかなー?