なぜSNSには「極端な人」ばかり集まるのか
ネット上の書き込みは、「世間の声」として紹介されることがある。しかし、そうした「ネット世論」には、深刻な偏りが見られるという。
マスコミで「街の声」「世間の声」として紹介されるのも偏りがあります。
「新橋の飲んだくれサラリーマンの声」だと偏っているの間違いないとわかるし、そもそも放送に都合のいい声だけ編集しているんですよねぇ。
ネットの声も同じなんだけど、極端な人・意見が目立つからそれが世間のマジョリティだと思ってしまう危険性はあります。
さらにSNSはフォローする人やシステムのおすすめによって、自分と似た意見ばかりを目にしてしまう「エコーチェンバー現象」があるから勘違いしやすい。
それを理解せずに「ネットの世論(マジョリティ)」だと考えてしまうのはSNSの危険性であることは間違いない。
どんどん極端な方向へ向かってしまう
さらにネット・SNSでは、アクセスや「いいね!」を増やそうとして、より極端な方向へ向かう人もいます。
デマを撒き散らしたり、デマをもとに極端なことを言うとか、それが芸風というかビジネスにしている人もいるので注意が必要。
「うそはうそであると見抜ける人でないと」というやつですね。
ネットは「極端な人」の声が面白い
ネット・SNSの声を「世論(マジョリティ)」と考えるから間違いなだけであって、「極端な人の声」として受け止めれるなら面白い。
そもそもネットというのは、普通に生活していたら出会えないような人と絡んだり眺めことができるのがいいところ。
FIREとかセミリタイア生活も世間一般から見れば極端な生き方だし、極端な節約をしている人は目立ちます。
自分の周辺の人も、実は他人に明かしていない顔を持っていて、ネットでは本名を明かさずに活動しているケースもあります。
そういう「極端な人の声」が面白いがそもそもネットなので、それを理解するのもネットリテラシーというものですね。
ネットに漏れる「本音」の中には、見たくないものもあるものですけれどね…