なぜ仕事のできない人は「忙しい」アピールしてしまうのか
なぜ仕事のできない人は「忙しい」とアピールしてしまうのか。組織心理学者のジョン・アメイチさんは「現代人は忙しいことを組織の活躍ぶりを示す尺度だと思い込んでいる。だが、忙しいことは珍しいことではなく、くだらない言い訳でしかない」という――。
「忙しい」は便利に使えるイイワケなんですよねぇ。行きたくないお誘いに使えるし、やるべきことができてない時にも使えるイイワケ。
同時に「組織での活躍ぶり」を示す尺度や「頑張っている」「必要とされている」尺度にもなってしまう。「残業時間が多い」も「忙しい」の一種かな。
仕事での無能さや非効率さの裏返しとも言えますが、日本ではそこは問題にされにくい。
仕事でもプライベートでも忙しいのは、「リア充」の尺度と言えますかね。「寝てない自慢」とか地獄のミサワでネタにされてますけど。
かといって、「暇」などと言ったら余計な仕事が回ってくるのがオチなので、「忙しい」フリをするか、「忙しい」と言っておいた方が得なんですよねぇ。
予定が埋まってないのが怖い「空白恐怖症」
現代人が「多忙崇拝」をしているかはわかりませんが、スケジュールが埋まってないのが怖い「空白恐怖症」の人がいるそうです。
「多忙=リア充」という尺度にとらわれてしまった人ですかね。
対照的に空白を作らないとつらい人もいるので、「多忙崇拝」している人ばかりではないのでしょう。
「暇」は退屈でつらい
ただ「暇」=退屈でつらいイメージを持っている人は多いかもしれません。
早期リタイアなんてしたら退屈でしょうがないんじゃない?と聞いてくる人がいますし。
だから敢えて「セミリタイア生活は死ぬほど忙しい」などとアピールをしておいた方がいいのかな。
いや他人からどう見られようが、もうどうでもいいんですけど。
実際のところは、アニメ観たりサッカー観たりゲームしたりと忙しいから間違ってはいない!…はず。
あ、流石に「死ぬほど」は余計だったかな…