「令和」の由来を辿ると『帰田賦』に行き着く
新元号「令和」の由来は、『万葉集』の「梅花の歌三十二首」の序文と発表されていました。
しかしその序文の元を辿れば、中国の詩文集『文選(もんぜん)』に収録されている『帰田賦』(張衡)の表現から来ているだろうと。
『万葉集』が「初春令月、氣淑風和」で『帰田賦』が「仲春令月、時和気清」という表現ですから、丸パクリではなくオマージュ的な感じ?
この時代ですから中国文学の影響を受けていたとしても不思議ではありません。
『帰田賦』は「田舎に帰ろう」
『帰田賦』を書いた張衡(ちょうこう、78年~139年)は、後漢時代の官僚・政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人です。
首都洛陽の腐敗した政治に我慢できずに職を辞し、その後に引退・帰郷して138年に書いたようです。
早速、現代語訳をされている方がいました。
世間の俗事はうんざりで、無職を気にせず春まっただ中の美しい月や暖かな空気を楽しむ様子を描いているわけですね。
なんですか、めちゃくちゃ共感する内容じゃないですかこれは…
あくせく働くのは辞めて田舎に帰ってのんびり生活するのがいい、とダウンシフトした考え方になるのが令和の時代かもしれません。
科学者・張衡はめっちゃスゴい人
Wikipediaに書かれている張衡の天文学や力学の知識はスゴいですね。それでいて政治の腐敗に黙っていられない性格だったと。
日本の組織でも有能だけど融通が利かない人が居づらくてどんどん辞めていったりするので、令和はそういう組織が変わっていく時代になって欲しいです。
私はもう世間の俗事にうんざりなタイプなので、無職を気にせずのんびり生きていきたいですけど(;´∀`)