「自分のこと」を書くから難しい
「書くことがない」と悩む人には共通点があります。
それは「自分のこと」を書こうとしていることです。自分の中にコンテンツがないとダメだ、と思っているのです。
しかし自分の中に「何か」がなくても発信はできます。自らコンテンツを生み出そうとするのではなく、まずは他人のこと、まわりのことを発信しようとすればいいのです。
私もブログを書きはじめるとき、まさに「書くことがない」「書くことがなくなる」と思っていた人間の一人でした。
「ブログ(blog)」というのは、「Web log(book)」の略であり、「log(book)」は本来航海日誌のことで、コンピュータの動作記録でも使われる言葉です。
だから、日記のような意味で捉えてしまっていわたけですね。Twitterは「今なにしてる?」と問いかけていましたし。
でも、毎日同じようなことしかしていないセミリタイア生活で書くことなんてほとんどありませんし、あってもつまらないものがほとんどです。
「無職の分際で言いたい放題する」を軸に
だから私もブログは「自分の周りや社会で起きていることを自分の目線で発信(言いたい放題)」することを軸にしました(なっていきました)。
そうすれば毎日書けるようになったわけで、まさにこの記事の意見は共感しかありません。
もちろん自分の意見をしっかり出すことと、自分に起きたことも書くようにはしています。たまにですけど。
そんなこんなで7年以上続いているので、方針が変わっていったのは間違ってはなかったということでしょう。
小説家もリアルの出来事をモチーフにする
私は昨年、なろう小説を少しだけ投稿をしてみましたが、書くネタがすぐに尽きてしまいました。
中々新しいアイディアが生まれず、苦しむのはプロで創作活動をしている人も同じだと思います。
小説では、リアルの事件・出来事をモチーフにした作品も珍しくありません。
「事実は小説より奇なり」と言うように、世の中には面白い出来事・不思議な出来事・驚きの出来事がいっぱい転がっているということ。
それをノンフィクションで伝えるのもあり、モチーフとしてフィクションに仕上げるのもあり、世の中には「他人のこと、まわりのこと」で発信しているものが溢れています。
いやほんと、現実には面白い出来事があって、まだまだ知らないことも多いものです。
最近面白かったものでは、「旧UFJ銀行のほっこりエピソード」ですかね。
大手メディアがあまり伝えない(おそらく大人のしがらみから伝えられない?)、こういうエピソードを伝えるのも、コンテンツの一つになると思います。
Twitterにしろブログにしろ、内容や形に縛られずに自由に書くのがいいですね。