「古文・漢文なんて、勉強しても無駄」
受験シーズンの時期、毎年SNSでテンプレのように繰り返される話の一つに「古文・漢文なんて、勉強しても無駄じゃね?」がある。
今年の大学入学共通テストでは『増鏡』『とはずがたり』『?経室集』といった作品が取り上げられたが、確かに「こんなの入試が終わったら、二度と読まない」という人もいるだろう。しかし、古典の勉強は本当に「無駄」なのだろうか。
「○○は社会に出てから使うことがない・役に立たない・無駄」という1か0かの議論はばかばかしい。
役に立つ場面があるかないか、役に立つ職業があるかないかで言えば絶対にある。
論ずるべき点は「必修科目である必要があるのか?」の方だし、その上で優先順位をどうつけるか、時間配分をどうするかの問題です。
その上で私の意見は、「古文はともかく漢文まで必須である必要は感じない」だし「古文・漢文は原文の読み方を覚えなくても、日本語訳をメインにしたらいい」です。
エピソードを知るだけなら日本語訳でいいわけで、優先順位としては低い。芸術科目(音楽・美術・書道)に近い扱いでもいいんじゃないかと。
「三角関数なんて大人になってから使ったことがない」
「勉強しても無駄」と言われる科目は古文・漢文に限らずあり、数学もよく槍玉に挙がります。
橋下徹氏の場合も、三角関数を全く教える必要がないではなく、必修である必要がないと言っているのですが、どうしても「(まったくの)無駄」と言われて反発が起きますね。
ただ、古文・漢文と三角関数のどちらか社会に出てから活かせる職業分野が多いかとなれば、それは三角関数だと思いますし、それが優先順位の高さになります。
もちろん教養という意味ならどちらも知っておいて損はなく、まったくの無駄にはなりません。
優先順位は時代とともに変化する
社会に出てから役に立つという視点で考えるならば、優先順位高く学ぶべき分野・科目は時代とともに変化します。
小学校でプログラミングが必修科目として入りましたが、その分は他の科目を学ぶ時間が減ります。
でも社会で必要とされる知識が変化してるのだから、それに合わせて変化していくのは当たり前のこと。
プログラミングや金融教育などが新たに入ってきて、古文・漢文や昔からの数学科目を学ぶ時間が減るのはしょうがないと思います。
個人的にはAI・機械学習分野が今後重要になるので、確率統計にもっと注目が集まってもいいかなと。