他人の言う「豊かな老後」を信じると後悔する
「豊かな老後」とは一体どんなものか。作家の勢古浩爾さんは「定年本や老後本によく書かれている言葉だが、『豊かさ』の中味は一人ひとりちがう。こうした希望や不安を煽るだけの言葉に騙されてはいけない」という――。
「豊かな生活」とか「充実した人生」とか人それぞれなのだから、言葉に踊らされてはいけない、「就活」や「孤独死」などという言葉はバカバカしい、とバッサリ斬りまくってて清々しいですねぇ。
老後の不安を煽る人が増えると、その逆張りも出てくるもので。
何が豊かで何が充実しているかは人それぞれなので、他人の価値観に振り回されるのだけはやめたほうがいい。
お金(収入や資産額)のように、数字でわかりやすく比較しやすいものに気を取られるのはしょうがないですけど…
「ゆとりある老後生活」は
一般に「豊かな老後」よりもよく聞かれるのが「ゆとりある老後」だと思います。
これは生命保険文化センターが毎年「ゆとりある老後生活費」がいくら必要だと考えるかを聞いた調査によるところが大きい。
だからこの「ゆとり」とは金銭的な意味合いが強く、精神的・時間的なゆとりの意味合いは薄い。
「ゆとりある老後生活」を送るためにお金が必要だからと老後も可能な限り働いて、精神的にも時間的にもゆとりがなくなったら、それは本当にゆとりがあるのかと疑問になります。
「物質的な豊かさ」から「精神的な豊かさ」へ
思えば、かつて高度経済成長期を経て日本が経済的に豊かになった頃、「物質的な豊かさ」から「精神的な豊かさ」へと言われていました。
「若者の◯◯離れ」のうち、モノを買わなくなりライブや推し活などの体験にお金を使うようになったのは、「精神的な豊かさ」へのシフトを表しているかもしれません。
ただ、この先は日本がどんどん貧しくなって「物質的な豊かさ」も失っていくかもしれませんが…
「豊かな老後」にも「物質的な豊かさ」と「精神的な豊かさ」の両方のバランスが必要で、それぞれ何を求めるかもそのバランスも人によって違います。
自分にとってのいいバランスを見つけてそれを実践できていれば、自分は豊かだと言っていい。
言ったもん勝ちなところはありますけどね…