なぜ「中年男性」は友達が少ないことを恥じるのか?
なぜおじさんは友達が少ないことを恥と感じるのか? それこそが友達の数に代表される自分自身の数量価値(年収とか肩書とか)に依存しているからだろう。
おじさん(中年男性)は、年収や肩書、そして友達の数も自分の数量価値としてとらえ、それに依存しているから友達が少ないことも恥じると。
ビジネス上では「友人が多い=人脈が広い」という意味合いでとらえられることもあり、数量価値であることは疑いようがありません。
社交性の高さ・信用や信頼がある証にもなるし、しょうがないですね。ただそれに依存してしまい、見栄を張るのはどうかと思いますが…
定年で一気に剥奪される
そして記事中で指摘されているのは、年収・肩書・(職場の)友達といった数量価値は定年によって一気に剥奪される危険性があること。
職場と無関係の友達がいればいいし、職場の友達でも関係が続く可能性はありますが。
数量価値に自分を依存ざせすぎるのは危険だし、ましてや友達の数なんて数量価値にしない方がいい。
深い付き合いの友達が少数いればいいだけの話だし。
「俺は友達多い」と見栄を張ると大変
老後、見栄を張りすぎると支出が増えて老後破綻の可能性があると言われます。
「俺は友達多い」と見栄を張り、人間関係を維持したりさらに広げようとしたら、やはりお金がかかって大変です。
生活水準的な見栄も、友人の多さという見栄も、張らないほうが倹しく生きられますね。
さっき言ったように深い付き合いの友達が少数いればいいし、一人でも孤独を感じないのであれば極端な話、友達ゼロであってもいい。
友達が少ないことを恥じず、貧乏生活なのも恥じず、マイペースで生きていきたいものです。