保釈されたら容疑が晴れたわけではない
昔の呼び捨て時代を知っている人間からすれば、「容疑者=(真)犯人」という扱いになっているのは皮肉というのはよくわかります。
でも、逮捕されたら「容疑者」で、保釈されたら「さん」や「肩書呼び」になるのはどうなんだろう?
釈放・保釈されれば潔白が証明されたとは限らないし、在宅で取り調べを受け、在宅起訴を進めているかもしれません。
逆に保釈金が用意できないなどの理由で保釈可能な状況でも保釈されない場合もあります。
凶悪犯を捕まえて「さん」と呼びにくいのもわかりますが、現状もしっくりはこないですね。
過去の職歴から肩書をつける必要があるのか?
今回の事件でもっとも不可解なのは「元院長」という肩書を使っていることです。
贈収賄や経済事件など、肩書がその犯罪に関係している場合はともかく、今回のような事故で必要でしょうか?
説明として「元〇〇院長の〇〇氏」ならわかりますけど、一々「元院長」呼ぶのは「上級国民だから忖度してる」と思われてもしょうがない。
逆に、大津の事故では事故に関わった50代と60代の女性ドライバーはわざわざ「無職」と報じられています。
2人ともおそらく専業主婦だと思うのですが、発表した警察とマスコミが「専業主婦=無職」だと認定しているわけですよ。
年金の第3号問題で「無職の専業主婦」という表現に怒りを覚えた人は、こういう認識が日本社会の根っこにあることにも怒り、変えていくべきでしょう。
「会社員」と「派遣社員」を区別するのもマスコミ
事件や事故の報道では、肩書として主にリタイアした高齢者は「無職」、雇われて働いている人は「会社員」や「派遣社員」「アルバイト」などと報じられます。
このように細かい雇用形態を報じる必要があるのかも疑問です。契約の形態が違うだけでどれも「従業員」だし、これからもっと細分化しそうなのに。
ちゃんと会社を経営してても、マスコミが確認取れないと「自称」と付けられたりします。
警察による発表が大きな要因ではありますが、マスコミによって肩書による階級が作られているようなものです。
それが日本を「肩書にこだわる社会」にした一因ではないのかと。
これから日本は高齢者ばかりになり、「無職」が最も多くなります。今回の件でいいわけするのではなく、肩書の表記について建設的な方向で考えてもらいたいものですがね。