降って湧いたように盛り上がった「親ガチャ」論争
現在、テレビやSNSで話題となっている「親ガチャ」というワード。この週末にはワイドショーなどでも特集が組まれ、芸能人たちも巻き込んだ、さまざまな“論争”を巻き起こしています。その「親ガチャ」をどう捉えるか。
ネット上では数年前から使われているネットスラング「親ガチャ」がここに来て日の目を見て、バズワード化したことには驚きを隠せません。
ネット上で「親ガチャ」以前によく使われていた言葉は「人生ハードモード(人生イージーモード)」です。(こちらは親子関係に限った話ではありませんが)
これもゲームの難易度設定が由来で、ゲームに喩えるのは昔からよくある話なんです。
「親子の縁をソシャゲのガチャに喩えるのは失礼だ!」などと批判する声もありますが、喩えとしてハマっているからこそ、話題になり論争になっているのだと感じます。
「嫌な言葉」と思われるくらいでいい
親ガチャに当たって人生イージーモードで来た人は、自分はあくまで親ガチャ運に関係なく努力だけの結果だと思っていて、人生ハードモードでありながら成功した人は自分の努力の賜物であるから言い訳なんてみっともない(ただし生存者バイアス)。
だから「親や家庭環境のせいにするな」という言葉は「成功者の言葉」として広がってしまう。
しかし現実には親・家庭環境ではっきりとした差があるわけで、その現実から目を背けたい人にとっては「嫌な言葉」と感じるのかもしれません。
この論争がそのような人に格差社会の存在を知らせる役割を果たせたのなら、良かったのかも。
毒親に親孝行する必要なし!
「親ガチャ」を批判し、毒親に当たってしまった人に対して「どんな親でも子供を愛しているのだから、親孝行しろ」などと強制するのが一番良くない。
むしろ親との同居から脱して、自立した生活を始められる公的住宅の整備が求められるくらい。
親孝行の必要はないし、場合によっては縁を切ってもいいでしょう。毒親から逃げようとする人が、「親ガチャ」という言葉の存在で少しでも逃げやすくなるならいいこと。
そういう政策に関わる政治家や官僚の多くは、家庭環境に恵まれている(特に政治家は二世・三世も多い)ので、想像力がないと話が噛み合わないものですが…