「自分が幸福を感じられるお金の使い方」を定義しないと…
自分にとって「幸福を感じられるお金の使い方」を持っている人が幸せなのは間違いないでしょうけど、そうでないと「お金が人生の満足度を下げるツールになる」とまでは思いません。
お金持ってることで安心できるから幸せ、という人もいるし、満足度を下げるケースももちろんあるでしょう。
そもそも証券営業という立場で見ているのがその人の全てじゃないだろう、とは思いますが。
中には営業くらいしか話し相手がいない、孤独に生きている人もいるでしょうけどね。
実は幸福なのかもしれない
証券営業という仕事柄、資産を持っている人たちを見てきた中で、幸福に見えた人・幸福に見えない人、両方いたのでしょう。
資産を持っていても幸福に見えない人がいるのは事実だし、孤独であるなど人間関係の問題で幸福ではないケースもあるでしょう。
ただ不幸に見えている人でも、自分の「幸福アピール」をしてないだけかもしれないわけで。
証券営業に対して幸福アピールなんて謙虚な人はしないでしょうしね。
「幸福を感じられるお金の使い方」は、他人に見せなくてもいいんです。
むしろ他人に見せたがる人は幸せではない説
証券営業という他人に自分がどれだけ幸福かをひけらかすのは、承認欲求が強いからかもしれません。
お金を使って何かをして、それで承認欲求を満たすことまでが1セットで幸福を感じているのだとすると、「幸福を感じられるお金の使い方」を持っていると言えるのか疑問です。
資産額や使うお金の金額は、上を見たらキリがないものですから、他人と較べてしまうと幸福が遠のいてしまうもの。
ということで、その人が幸福なのかは家族や親友ならともかく、赤の他人が判断できるものではありませんね。
