居合道の最高段位は金で買う!
華道や茶道の師範・家元の免状を取るにはお金が必要ですが、それと同じ感覚だったのでしょうかねぇ。
それにしては高すぎますし、「誠意」とか「墓場まで持っていく」とか言ってる時点で後ろめたいのが見え見えですけどね。
審査の評価基準に「風格・品位」が入っているところが最高にロックです。
サムライ・武士道はいいイメージだけど
サムライや武士道はイメージがいいためか、スポーツの日本代表をはじめとして様々な場面で使われる言葉になっています。
その流れを最も汲んでいる組織が「剣による人間形成」を旗印にしながら金を要求し、実態調査を求める嘆願書をもみ消すとか、日本の組織の悪い部分のオンパレードじゃないですか。
このところ不祥事が相次いでいる「ダメな体育会系の組織」の一つと考えれば、驚くほどのことではないんですけどね。
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の誤解
「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」は『葉隠』の有名な一節ですが、戦時中の特攻や自決を行わせるために利用されてしまいました。
「武士道=自ら死ぬ(切腹)」の意味のように取られがちですが、本来の意味は死を選ぶということではありません。
葉隠の真意は、自己を中心とした利害に基づく判断からの行動は、結局のところ誤った行動となってしまう。そのため、本当に最良の行動ができる心境とは、自己を捨てたところ、すなわち自身が死んだ身であるという心境からの判断であり、そのような心境から得られる判断が、自分も含めた全体にとって最良の結果を生むというところにある。
全日本剣道連盟の審査員たちはまさに「自己を中心とした利害に基づく判断からの行動」をしてこの言葉の意味を教えてくれたように思います。
「体育を通した人間形成」は失敗に終わった
これまで錦の御旗のように使われてきた体育(敢えてスポーツとは書かない)をすることの意義「体育を通した人間形成」は、空虚なものになりました。
団体のトップレベルから腐っているのだから、「一部の人間がやったこと」ではなく、根本的にそんなのは無理だった、むしろ人間形成に逆効果すらあったということです。
文科省が各団体に「体育を通した人間形成」を掲げるのを辞めさせるチャンスだと思います。
そして今後は、スポーツの意義は「運動能力の維持・向上」「競技を楽しむ」「スポーツ心理学やスポーツ生理学などの知識の獲得」といった方向へ舵を切るべきでしょう。
人間形成はスポーツの場に限らずあらゆる場所で行うものであって、体育だけ特別扱いするとろくなことがありません。
言ったもん勝ちなら「無職を通した人間形成」でも「ひきこもりを通した人間形成」でも、なんでもありですね(;´∀`)