善友が得られなければ、孤独に歩め
「われらは実に朋友を得る幸せを褒め称える。自分よりも勝れ、あるいは等しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め」
ここでいう勝れた朋友とは、善友のことです。犀の角とは、孤独のことです。お釈迦さまは、修行僧に向かって「善友を求めよ」と説かれました。しかし善友が得られないのなら、「孤独に歩め」と鼓舞されたのです。
私には矛盾などまったく感じません。
広くて浅い関係の友人がたくさんいるよりも、一人の親友(朋友・善友)がいる方がいいですし、多くの人間関係に時間やお金をかけて疲弊するよりは自分のために時間とお金をかけた方がいい。
そんな当たり前のことを勧めているだけだと感じる言葉です。
罪過のない生活を楽しむのみ
「罪過(つみとが)のない生活を楽しんで」の「罪過(つみとが)」とは、「法律や道徳に背いた行い」でしょう。
つまり孤独であっても法律や道徳に背かない正しい生活を楽しめばいい。
道徳感は人それぞれ違うので一様には言えませんが、法律に背かずに生きていくだけなら難しいことではありませんね。
下手に多くの人と関わると、気付かぬうちに他人を傷付けてしまうことがあります。
それが自分の道徳観的にいたたまれなくなる人は、いっそ孤独でいる方がいいとも言えます。
人と関わらなければ「避けるべき4種類の人」にならなくて済む
『六法礼拝経』で説かれている「避けるべき4種類の人」にはなりたくない、と思います。まぁ孤独で人と関わらないでいればならなくて済みますが。
「避けるべき4種類の人」のうち「何でも取っていく人」「言葉だけの人」「甘言を語る人」は、法律や道徳に背くブラック企業を始めとした経営者に多く見られる特徴だと思います。
そういう経営者がいる企業に関わるくらいなら、働かない方がいい。まさに「働いたら負け」でしょう。
もちろん、いい友人に恵まれたりいい就職先に恵まれるにこしたことはありません。念の為。